学生団体SEALDsの合言葉「落選させよう」は公選法に違反しないのか?
以前から気になっているのだが、デモやこういった活動をしている人間の何人が日本の置かれた現状をきちんと把握しているのだろうか? 何人が安保保障関連法の中身を理解して(ちゃんと読んで)いるのだろうか?
街角のインタビューに答えている多くの人もそうだ。「説明不足だと思います」「よく判らないけど、なんか怖い」などと答えている人の何人が国会中継を見たり法案の中身を読んだりしているのか? 公開されている情報にもアクセスせずに「説明不足」などというのは「自分はバカです」と言っている様なものだ。先ずは自分の不勉強を恥じるべきだろう。
※民意だ総意だと騒いでいるが、結局の所、大半の民衆は関心も興味も無い
勿論諸悪の根源は誇張/偏重報道を繰り返すマスコミだ。多くの人は(主に野党の所為で)意味の無い質疑の応酬が繰り返される国会を辛抱強く見るほど暇ではないし、法案の原文を紐解くほど勤勉でもない(←人の事は言え無いけど(^^;)。結局、殆どの人は(狭義の)報道のみが唯一の情報源となる。
その報道だが、法案審議中は「反対デモ」ばかりを取り上げて「賛成デモ」も行われている事を報じていたのは某番組だけっだたし、可決前後のニュース合戦でも「賛成デモ」は1カ所が僅かに取り上げていただけ(←保険を掛けたのかな(^^;)だった(私が視聴した範囲だが)。
今更マスコミを問題視しても仕方が無い。変わるべきは受け手の姿勢だ。
鵜呑みなど以ての外で、先ずは経験と想像力(連想)を働かせて自分で考える事が重要だ。そして周りに流されて判断するのでは無く「判らないものは判らない」と言い切る勇気を持つ事(ましてや相手に合わせて相手の期待する答えなどしてはならない)。次にその問題が自分にとって重要な事なら、自分が判る(納得出来る)まで調べたり熟考する。もし重要で無いなら、判らないままでいい。その代わり判断も委ねる(何となくや雰囲気で意見を述べるべきでは無い)。
最近の報道やデモや抗議活動を見ていると、戦争前夜を思い出す(いや、戦後生まれだけど(^^;)。
マスコミの報道に煽られて猪突猛進する民衆。その熱に当てられて高揚し、まるで祭りの様だ。そこに居る事で一体感や正義感、充実感が満たされるのだろう。方向性は逆だが、行き着く先は同じだ。
寧ろ彼らこそが戦前そのもので、戦前/戦中から何も学んでいないように感じるのは、私が思想を異にしているからなのだろうか。